エイリアンvsプレデターはどっちが勝った?【ネタバレ】もう勝手に戦え!シリーズと完全版の違いまで徹底比較

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エイリアンvsプレデターはどっちが勝った?【ネタバレ】で最終決着!シリーズと完全版の違いまで徹底比較 SF映画
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「もしも、あの凶暴な『エイリアン』と、あの孤高の狩人『プレデター』が戦ったら…?」

SF映画ファンなら誰もが一度は胸を熱くしたであろう、この究極のドリームマッチ。

それを実現したのが、映画『エイリアンvsプレデター』シリーズです。しかし、実際に映画を観た人ほど、新たな疑問が湧いてきたのではないでしょうか。

「で、結局どっちが勝ったの?」

このシンプルかつ最も核心的な問いに、この記事で終止符を打ちます!

映画の結末に関する徹底的なネタバレはもちろん、シリーズ全体の歴史や、両者の強さの比較、さらには観ると面白さが倍増する『完全版』との違いまで、あらゆる角度から「エイリアンvsプレデターはどっちが勝ったのか?」という長年の論争に決着をつけたいと思います。

さあ、あなたもこの世紀の対決の目撃者になりましょう!

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【ネタバレ解説】映画『エイリアンvsプレデター』は結局どっちが勝ったのか?

【ネタバレ解説】映画『エイリアンvsプレデター』は結局どっちが勝ったのか?

※イメージです

まずは皆さんが一番知りたい結論から。

映画の物語を追っていくと、この世紀の対決の勝敗がどうなったのかが見えてきます。

結論:勝敗は「引き分け」、しかしエイリアンが次世代へ繋ぐ

いきなり結論からお伝えすると、映画『AVP』の直接的な勝敗は「壮絶な痛み分け(引き分け)」と言うのが最も近い表現でしょう。

物語のクライマックスで、生き残ったプレデターとエイリアンの頂点に立つエイリアン・クイーンは、お互いに致命的なダメージを与え合い、相打ちに近い形で決着します。

そのため、どちらかが一方的に勝利したわけではないんですね。

しかし、この物語が巧みなのは、ここで「はい、引き分け!おしまい!」とならないところです。

映画の本当に最後のシーンで、エイリアンという種の恐るべき生命力と執念が描かれます。

それは、倒れたプレデターの体内から、次世代の新しい命が誕生する場面…。

このラストシーンこそが、「どっちが勝ったか」という議論をさらに面白くする、最高のスパイスになっているんです。

映画『AVP』の結末をネタバレ解説!共闘とクイーンとの死闘

映画『AVP』の結末をネタバレ解説!共闘とクイーンとの死闘

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では、なぜ「引き分け」という結論になるのか、物語の結末を詳しく見ていきましょう。

物語の舞台は、南極の氷床下600mで発見された謎の巨大ピラミッド。

人類史を覆す大発見に沸く調査チームでしたが、それはプレデターたちが仕組んだ巧妙な罠でした。

彼らは、若きプレデターが一人前の戦士になるための「成人の儀式」として、このピラミッドでエイリアンを狩るという神聖な儀式を、なんと太古の昔から繰り返していたのです。

調査チームは儀式の生贄として利用され、ピラミッド内部ではフェイスハガーによって次々とエイリアンが増殖。

何も知らないプレデターの若者たちも、想定以上のエイリアンの数と凶暴性に苦戦し、次々と倒れてしまいます。

そんな地獄のような状況で、最後まで生き残った人間の女性ガイド・レックスと、最後のプレデター戦士・スカーとの間に、種族を超えた奇妙な「共闘関係」が生まれます。

言葉は通じなくとも、「エイリアン」という共通の敵を倒す目的は同じ。

この二人の共闘は、AVPシリーズ屈指の名シーンですよね。

二人は協力してピラミッドを爆破しますが、全ての元凶である巨大なエイリアン・クイーンが爆発から逃れ、地上で最後の戦いが始まります。

壮絶な死闘の末、レックスの助けを借りたスカーはクイーンを南極の海へと葬り去ることに成功。

しかし、スカー自身もクイーンの攻撃によって致命傷を負い、静かに息を引き取るのでした。

仲間を失いながらも儀式の対象を葬ったプレデター。

そしてクイーンを失ったエイリアン。

まさに両者ともに甚大な被害を受けた「痛み分け」と言える結末です。

続編『AVP2』の結末は?新種プレデリアンの誕生と人類の敗北

続編『AVP2』の結末は?新種プレデリアンの誕生と人類の敗北

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話はここで終わりません。

前作のラスト、スカーの体内で誕生したエイリアンの幼体は、なんとプレデターの特性を受け継いだ新種「プレデリアン」へと成長します。

続編である『AVP2』は、このプレデリアンがプレデターの宇宙船内で大暴れし、船がアメリカの田舎町に墜落するところから始まります。

町に解き放たれたプレデリアンとエイリアンたちは、凄まじい勢いで繁殖を開始。

静かだった町は、一瞬にして地獄絵図と化します。

事態を収拾するため、プレデターの母星から「ザ・クリーナー(掃除屋)」の異名を持つ、歴戦のプレデターが一体送り込まれます。

彼の目的は、エイリアンの殲滅と、プレデターの存在の証拠を完全に消し去ること。

そのため、エイリアンだけでなく、事態を目撃した人間さえも容赦なく始末していきます。

結局、この掃除屋プレデターもプレデリアンとの激闘の末に相打ちに。

そして、事態を制御できなくなった人類(政府)は、最終手段として町ごと核兵器で爆撃するという、あまりにも救いのない決断を下します。

『AVP2』の結末は、エイリアンもプレデターも、そして人類も、誰も勝つことのできない「全員敗北」とも言える、非常に後味の悪いものでした。

この結末を見ると、「どっちが勝った?」という問いがいかに無意味であるかを痛感させられますね。

人類の本音?「エイリアンvsプレデター、もう勝手に戦え!」

人類の本音?「エイリアンvsプレデター、もう勝手に戦え!」

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シリーズを通して最も気の毒なのが、この壮大な戦いに巻き込まれる私たち人類です。

彼らにとって人間とは、エイリアン側から見れば繁殖のための「生きた苗床」でしかなく、プレデター側から見れば「儀式の邪魔をする障害物」か、あるいは(非武装であれば)「狩りの対象にすらならない無価値な存在」です。

まさに「神々の争いに巻き込まれた蟻」そのもの。

どちらが勝っても人類に未来はなく、襲われるだけの存在です。

そんな理不尽な状況に置かれた登場人物たち、そしてそれを見ている私たち観客が抱く共通の感情こそ、「もう、勝手に戦ってくれ!」という悲痛な叫びではないでしょうか。

このどうしようもない無力感と絶望感こそが、AVPシリーズの隠れた魅力なのかもしれません。

生物兵器エイリアン vs 狩猟民族プレデターの強さ比較

生物兵器エイリアン vs 狩猟民族プレデターの強さ比較

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では、純粋な戦闘能力で言えば、どちらが強いのでしょうか?

これもまた、非常に悩ましい問題です。

エイリアンは、まさに生物兵器の完成形。

金属さえ溶かす強酸性の血液は、近づく敵を返り討ちにする最強の防御システムです。

鋭い爪や尻尾、そして二重顎(インナーマウス)による攻撃はすべてが致命傷に繋がり、その運動能力と神出鬼没な動きはプレデターをも翻弄します。

何より、一体いればあっという間に増殖する繁殖力は最大の武器です。

一方のプレデターは、高度な科学技術を持つ戦闘種族。

姿を消す光学迷彩、肩に装備されたプラズマキャノン、伸縮自在の槍、腕のリストブレイドなど、その装備は強力無比。

彼らはただの戦闘狂ではなく、相手を分析し、戦略的に「狩り」を楽しむ誇り高きハンターでもあります。

武器なしの素手での戦いや、閉鎖空間での乱戦ならエイリアンが有利。

しかし、テクノロジーを駆使した戦術的な狩りであればプレデターが有利。

このように、状況によって優劣が変化するからこそ、彼らの戦いは面白いのです。

シリーズの背景から考察!「エイリアンvsプレデターはどっちが勝ったか」の結論

シリーズの背景から考察!「エイリアンvsプレデターはどっちが勝ったか」の結論

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さて、ここまでは映画の物語を中心に勝敗を見てきましたが、少し視点を変えて、シリーズ全体の背景からこの究極の問いを考察してみましょう。

そうすると、また違った結論が見えてきます。

そもそも『エイリアンvsプレデター』シリーズとは?

そもそも『エイリアンvsプレデター』シリーズとは?

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実はこの「AVP」という企画、2004年の映画で初めて生まれたわけではありません。

その原点は、なんと1990年の映画『プレデター2』のワンシーンにあります。

プレデターの宇宙船の内部に、獲物の頭骨コレクションが飾られているのですが、その中に、見覚えのある細長い頭部…そう、エイリアンの頭骨が映り込んでいるのです。

この僅か数秒のファンサービスが、「プレデターはエイリアンを狩っている!」とファンの間で大きな話題となり、アメリカのコミック社が『Aliens vs. Predator』としてコミック化。

これが大ヒットし、ゲーム化などを経て、満を持して映画化された、という歴史があります。

ですので、AVPシリーズは、本家である『エイリアン』シリーズや『プレデター』シリーズの物語とは少し異なる、いわば「お祭り」的なスピンオフ作品として楽しむのが正解かもしれませんね。

なぜ戦う?プレデターの「成人の儀式」という設定

なぜ戦う?プレデターの「成人の儀式」という設定

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AVPの世界で、なぜこの二大巨頭が戦うのか。

その答えは、プレデターの特異な文化にあります。

彼らにとって、エイリアンは自分たちの強さを示すための「最高の獲物」。

若きプレデターたちは、この究極の獲物であるエイリアンを狩り、その証を立てることで、初めて一人前の戦士として認められるのです。

そのために、彼らは古代から地球を儀式の場として定め、エイリアン・クイーンを捕獲して卵を産ませ、人間を生贄にエイリアンを繁殖させる…という、壮大で迷惑なマッチメイクを自分たちで行っていました。

この「儀式」という設定があるからこそ、彼らの戦いには単なる生存競争以上の、神話的な意味合いが生まれるのです。

【必見】物語の深みが変わる「完全版」と劇場版の決定的な違い

【必見】物語の深みが変わる「完全版」と劇場版の決定的な違い

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AVPシリーズをより深く楽しみたいなら、ぜひ「完全版(アンレイテッド・バージョン)」の鑑賞をおすすめします。

実は、劇場で公開されたバージョンとは別に、未公開シーンを追加したバージョンが存在するのです。

特に1作目の『AVP』の完全版は必見です。

劇場版ではカットされた、映画の冒頭にある「1904年の南極」のシーンが追加されています。

ここでは、100年以上前にも同じ場所でプレデターが儀式を行っていたこと、そしてそのプレデターが一体のエイリアンに不意を突かれてあっさり殺されてしまう場面が描かれます。

このシーンがあるだけで、儀式の歴史の深さと、エイリアンの恐ろしさがより一層際立ち、物語全体の重厚感が全く違ってきます。

『AVP2』の完全版は、物語が大きく変わるわけではありませんが、残虐描写が大幅に強化されています。

よりダークで救いのない世界観を味わいたい方には、こちらがおすすめです。

まとめ:『エイリアンvsプレデター』でどっちが勝ったか、その最終結論

さて、長々と語ってきましたが、最終的な結論です。

「エイリアンvsプレデターはどっちが勝ったか?」

この問いへの答えは、「どちらも勝っていないし、どちらも負けていない。種の存続をかけた彼らの戦いは、永遠に終わらない」ということではないでしょうか。

映画の直接的な勝敗は「引き分け」でした。

しかし、プレデターは「儀式」という文化のために戦い、エイリアンは「繁殖」という本能のために戦います。

その目的が異なる以上、彼らの戦いに明確な終わりはありません。

プレデターが儀式を続ける限り、エイリアンは繁殖の機会を伺い続けます。

どちらか一方が強いのではなく、それぞれの長所と短所が複雑に絡み合い、状況によって優劣が二転三転する。

そして、その壮大な宇宙規模の生存競争に、私たち人類はただ巻き込まれることしかできない。

このどうしようもなく、そして最高にエキサイティングな関係性こそが、『エイリアンVS.プレデター』という物語の真髄なのです。

だからこそ私たちは、これからも「どっちが勝つんだろう?」と、この終わらない戦いの行方にワクワクし続けるのかもしれませんね。