『リリイ・シュシュのすべて』気持ち悪い?星野なぜ?元ネタ事件の実話を考察

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『リリイ・シュシュのすべて』気持ち悪い?星野なぜ?元ネタ事件の実話を考察する 日本映画
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岩井俊二監督による映画『リリイ・シュシュのすべて』は、美しい映像美と繊細な音楽に彩られながらも、多くの観客に「気持ち悪い」とすら感じさせる強烈な印象を残しました。

特に、星野というキャラクターの豹変には戦慄を覚える人も多いはずです。

本記事では、作品の背景にある実話のような元ネタや、ネット掲示板と暴力の関係、そして星野はなぜあそこまで壊れてしまったのか、その心理を掘り下げます。作品の裏に隠された「現実」と「虚構」を結ぶ糸を、丁寧に考察していきます。

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『リリイシュシュのすべて』が「気持ち悪い」と言われる理由とは

『リリイシュシュのすべて』が「気持ち悪い」と言われる理由とは

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『リリイ・シュシュのすべて』が「気持ち悪い」と感じられる理由は、単に暴力描写や不快なシーンがあるからではありません。

それ以上に、この映画が持つ”静かな狂気”や”日常に潜む悪意”が、観る者の感情をざわつかせるのです。

特に印象的なのが、加害者と被害者の立場がじわじわと反転していく描写。

物語序盤でいじめられていた星野が、後半になると冷酷な支配者に変貌し、主人公の蓮見を従わせていく展開は、観ていて強烈な不快感を伴います。

そして、それがあまりにも”リアル”なのです。誰もが知っているような中学校の風景、校舎、制服、廊下、そのすべてが現実と地続きであるがゆえに、フィクションとしての安心感がありません。

もうひとつの要因は、音楽や映像の”美しさ”とのギャップです。

Lily Chou-Chouの幻想的な音楽と、映像の詩的な美しさが、描かれる陰惨な内容と強烈な対比を成しており、その落差が観る人に心理的な不協和を与えるのです。

こうした演出が、「気持ち悪い」と感じる人が多い理由のひとつと言えるでしょう。

『リリイシュシュのすべて』の元ネタ事件と実話の関係

『リリイシュシュのすべて』の元ネタ事件と実話の関係

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「これって実話なの?」「モデルになった事件があるのでは?」という声が多いのも本作の特徴です。

実際、映画が公開された2001年前後は、少年犯罪やネット掲示板をめぐる社会的関心が高まっていた時期でした。

明確に「これが元ネタです」と断言できる事件はありませんが、当時起きていたいくつかの少年事件が、作品の背景に影響を与えたと考えられています。

特に、1997年の神戸連続児童殺傷事件や、同年代に多発していた中学生同士の暴力事件などが、テーマとして作品に反映されている可能性があります。

また、岩井俊二監督自身がこの映画の脚本を、当時運営していた架空の掲示板「リリイ・シュシュの掲示板」上で進めていたという経緯も興味深い点です。

この掲示板には実際にユーザーが書き込みをしており、その内容の一部が脚本に取り入れられています。

つまり、本作は完全なフィクションではあるものの、現実の事件や当時の社会的空気とリンクしており、だからこそ「実話っぽさ」を感じさせるのです。

星野はなぜ変貌したのか?キャラクター考察

星野はなぜ変貌したのか?キャラクター考察

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星野修介は、序盤ではどこにでもいるような、少し気弱で繊細な中学生として描かれています。

ところが物語が進むにつれ、彼は一転して冷酷で暴力的な存在へと変わっていきます。

この”豹変”こそが、本作の大きなテーマのひとつでもあります。

星野の変化には、いくつかの要因が考えられます。

ひとつは、家庭環境。作中ではあまり詳しく描かれませんが、母親との関係や家庭内での孤立感が、星野の心に深い闇をもたらしていたことは容易に想像できます。

もうひとつは、彼自身がいじめられていた経験です。

彼がいじめられていたときの苦しみが、そのまま加害者になったときの残酷さに転化されているように見えます。

さらに重要なのが、彼の変化を止める存在がいなかったという点。

蓮見も津田も、誰もが彼の暴走を見て見ぬふりをする中で、星野は次第にエスカレートしていきます。

そしてラスト。

星野の”最後”については明言されていませんが、彼の破滅的な運命はほのめかされています。

このように、星野というキャラクターは、ただの”悪役”ではなく、社会のひずみを体現する象徴的な存在なのです。

『リリイシュシュのすべて』に登場する象徴たちの考察(青猫・青りんご)

『リリイシュシュのすべて』に登場する象徴たちの考察(青猫・青りんご)

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本作には象徴的なモチーフがいくつか登場します。

その中でも特に印象的なのが「青猫」と「青りんご」です。

「青猫」は、Lily Chou-Chouのファンサイトに頻繁に現れるユーザー名でもあり、作中ではある種のカリスマ的存在として描かれています。

彼(あるいは彼女)の書き込みは詩的で哲学的な内容が多く、主人公たちの精神的な拠り所になっているようにも見えます。

この青猫の正体については諸説ありますが、作中では明確に語られず、観る者の解釈に委ねられています。

一方、「青りんご」は、星野の破壊的な行動と対比されるように配置された印象的な小道具です。

青りんご=未成熟な存在、あるいは純粋さの象徴として読み取ることもできます。

これらの象徴は、登場人物たちの心の揺らぎや葛藤を映し出す鏡として、作品に深みを与えています 🍏

原作と脚本の違いとは?

原作と脚本の違いとは?

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『リリイ・シュシュのすべて』はもともと、架空のBBS(掲示板)小説としてインターネット上で連載されていたものです。

このBBS上で読者が自由に書き込み、岩井監督がそのやりとりを脚本に反映させていくという、非常にユニークな制作スタイルが取られていました。

原作(というか、オリジナルとなるBBS小説)は、映画よりもさらに断片的で、抽象的なやりとりが多く見られます。

映画ではそれらが物語として再構成され、より視覚的・感情的に訴えかける形に仕上がっています。

映画と原作BBSの両方を知ることで、本作の背景やテーマがより立体的に理解できるようになるでしょう。

『リリイシュシュのすべて』のロケ地を巡る

『リリイシュシュのすべて』のロケ地を巡る

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作品のリアリティを支えている要素のひとつが、実在のロケ地です。

映画の撮影は、主に栃木県宇都宮市とその周辺で行われました。

特徴的な風景や街並み、どこか寂しさの漂う田舎町の雰囲気が、作品の世界観を見事に表現しています。

特に有名なのが、あの稲穂の揺れる田園風景や、ラスト近くで登場する廃工場のような場所。

どちらもファンの間では聖地となっており、今でもロケ地巡礼をする人が後を絶ちません。

その場に立つことで、映画の登場人物たちが感じていた孤独や焦燥感を、少しでも追体験できるかもしれませんね。

星野と津田の関係性、そして母親の影

星野と津田の関係性、そして母親の影

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星野がなぜあれほどまでに暴力的になったのか。

その背後には、津田という人物の存在が大きく関係しています。

津田は、星野が変貌していく過程に深く関与しており、表向きは友人でありながら、心理的には支配・被支配の関係が成立しています。

また、星野の母親についての描写も見逃せません。

作中では詳しく語られないものの、母親との断絶、もしくは過干渉によるプレッシャーが、星野の内面に暗い影を落としていた可能性があります。

津田と星野の関係は単なる上下関係ではなく、互いの”弱み”を握り合った危うい共犯関係とも言えそうです。

この二人の関係性を読み解くことは、作品の深層を理解する鍵のひとつです。

終わりに──リリイ・シュシュの世界を生きた私たちへ

『リリイ・シュシュのすべて』は、一見して陰鬱で救いのない作品に思えるかもしれません。

しかし、そこには確かに、若者たちが感じる”生きづらさ”や”痛み”、そして”希望への希求”が描かれています。

現代のSNS時代においてもなお、この映画の描写は色褪せることがありません。

匿名性、孤独、居場所のなさ――そうしたテーマは、今も私たちの身近にあるからです。

だからこそ、この映画が持つメッセージは今も変わらず届くのだと思います。

リリイ・シュシュの音楽に耳を傾けながら、私たちもまた、自分だけの”エーテル”を探していくのかもしれませんね ✨