『明け方の若者たち』は本当にやってる?気持ち悪いという声やラストの意味も徹底考察!🌅

※この記事にはプロモーション広告が含まれています。
ドラマ映画
スポンサーリンク

『明け方の若者たち』とは?──曖昧で、確かだったあの瞬間たち。

『明け方の若者たち』は、作家・カツセマサヒコ氏のデビュー小説を原作とする青春恋愛映画で、2021年に実写化された作品です。

舞台は東京。スマホもSNSも当たり前の“現代”なのに、どこかアナログで、懐かしく、言葉にしづらい温度をまとった物語が展開します。

主人公は、どこにでもいそうな、ごく普通の大学生。

就活にバイト、友人との飲み会に追われる日々のなかで、ある夜、運命的に“彼女”と出会います。

それは、淡くて、苦くて、痛みをともなう恋の始まり――。

物語は、彼女と過ごした一夜を軸に、彼の数年間にわたる思いや心の変化をゆるやかに、時に鋭く描いていきます。

“青春”とひとことで片付けるには、あまりにも生々しく、でも確かに美しかった――そんな一瞬一瞬を、静かに、でもしっかりとすくい取った作品です。

スポンサーリンク

「本当にやってるの?」──リアルすぎるラブシーンが生む“錯覚”の正体。

検索欄に並ぶ「本当にやってるの?」という言葉。

これは、映画を観た人たちが口をそろえて感じた疑問のようです。それほどまでに、ラブシーンが“本物”に見えてしまう──。

主演の北村匠海さんと黒島結菜さんが演じる恋の瞬間は、あくまで演技であるにもかかわらず、あまりに繊細で自然。

カメラワーク、照明、セリフの「間(ま)」──そのどれもが日常の延長のように映ることで、フィクションであることを忘れてしまうほどのリアリティが生まれています。

だからこそ、観る人の心に“ざらり”と残るんです。「これは演技?それとも…」と。

けれどもちろん、映像に映るのはプロの俳優たちの“演技”。

にもかかわらず、そこに真実の気配が宿ってしまう──この違和感と没入感こそが、この作品の異質な魅力のひとつなのです。

「気持ち悪い」という声の裏にある、“痛み”への共鳴。

「気持ち悪い」という声の裏にある、“痛み”への共鳴。

実はこの作品、一定数の人から「気持ち悪い」「見ていてつらい」といった感想も寄せられています。

でも、それって悪いことなのでしょうか?

主人公の優柔不断さや、内向的な性格にイライラしたり、共感できないという声も確かにある。

恋愛の描写が、あまりにも“生々しい”。

理想化されたドラマチックな恋愛ではなく、誰かの生活のなかに実際に存在したような恋。

だからこそ、観る人の心の奥にある“忘れたい過去”や“見たくない感情”を無理やり引きずり出してくる。

「気持ち悪い」と感じるのは、もしかすると、その“過剰なリアル”に対する本能的な拒絶なのかもしれません。

でも裏を返せば、それはこの作品が“誰かのリアル”を真正面から描いている証でもある。

生きていれば、誰しも抱える泥臭さ、格好悪さ──それを、真正面から提示する勇気のある作品なのです。

指切断のシーンに驚いた人へ──あの瞬間が意味する“心の叫び”。

指切断のシーンに驚いた人へ──あの瞬間が意味する“心の叫び”。

さて、この映画を語る上で避けて通れないのが、「指を切る」というショッキングな描写。

突如訪れるこのシーンに、多くの観客が「えっ?」と絶句したことでしょう。

一見、唐突で突飛。現実離れしていて、「なんでこんなことを…?」と疑問を抱くのも無理はありません。

でもこれは、ただの猟奇描写ではありません。

私は、この描写を“心の痛み”の象徴として見ています。

誰かに気づいてほしい、自分を変えたい、でもどうすればいいか分からない──そんな感情が、極限の形で噴き出したのがこの行動なのではないでしょうか。

この作品は、リアルと幻想の狭間を行き来するような語り口を持っています。

だからこそ、この“指切断”もまた、現実逃避の象徴であり、心の奥底からのSOSだったのだと、私は思うのです。

ラストの“朝”が意味するもの──彼女は本当にいたのか?

そして、物語は静かにラストを迎えます。

明確な答えを提示しない、ぼんやりとした“余韻”だけが残る結末。

それこそが、この作品の最大の仕掛けとも言えます。

“彼女”という存在は、本当に実在していたのか?

あるいは、彼の理想像であり、なりたかった自分の象徴だったのかもしれない。

彼女は、現れては消え、まるで夢のような存在として描かれています。

ラストシーンで、彼女は姿を消し、彼は一人で“朝”を迎えます。

誰かと一緒に迎える明け方ではなく、自分一人だけの再出発の朝。

この静かな光は、彼がついに「現実」と向き合いはじめた証なのかもしれません。

“明け方”というタイトルが示すもの。

それは、「夜の終わり」であり、「新しい始まり」。

この映画は、その再生の瞬間を、静かに、そして優しく差し出してくれているのです。

『明け方の若者たち』が私たちに教えてくれること──青春は、終わってからしか見えない。

『明け方の若者たち』が私たちに教えてくれること──青春は、終わってからしか見えない。

この作品が私たちに投げかけてくる問いは、決して軽いものではありません。

「若さとは何か?」

「本当の恋とは、どんな形をしているのか?」

「過ぎ去ったあの瞬間たちは、今の自分に何を残したのか?」

登場人物たちは、皆どこか不器用で、未熟で、でも一生懸命です。

そしてその“未完成さ”こそが、かつての私たち自身と重なるのです。

青春って、輝いているだけじゃない。

むしろ、見たくない部分や、忘れたい感情のほうが色濃く残っていたりする。

でも、あの苦しさも、後悔も、全部ひっくるめて“生きてきた証”なんだって、この映画は静かに教えてくれる。

まとめ:リアルさが痛い。でも、その痛みが心を動かす。

『明け方の若者たち』は、リアルすぎて、だからこそ苦しく、だからこそ心に残る作品です。

「本当にやってるの?」と感じるほどの繊細な描写。

「気持ち悪い」と言われるほどに生々しい感情。

「なぜ?」と驚くような描写の中に、たしかに宿る“真実”。

これは、単なる恋愛映画ではありません。

あの頃の自分を振り返り、少しだけ今の自分に優しくなれる──

そんな、“心にざわつき”を残してくれる物語でした。

自分の過去と、今と、これからをつなぐ一本。

ちょっと心がざらついている時にこそ、そっと寄り添ってくれる作品だと思います。

ぜひ一度、その目で“明け方”を迎えてみてください。