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今回は、映画『真夏の方程式』で大きな議論を呼んだ「成実はなぜ自首しなかったのか?」について解説します。観終わったあとに「どうしてあのままなの?」「なぜ罪を背負い続けたの?」とモヤモヤする人も多い部分です。
成実と16年前の事件
物語の出発点は16年前。旅館「緑岩荘」の娘・成実が、ある女性を誤って死なせてしまいます。本来なら自首して裁きを受けるはずでしたが、父・仙波が罪をかぶり、自ら刑務所へ。成実は表向き自由を得ますが、罪悪感と秘密を抱えて生きる16年が始まりました。
成実が自首しなかった3つの理由
- 父が身代わりになった現実 → 愛する父が既に罪を背負って服役。成実が名乗り出ても取り返せない。
- 公訴時効の成立 → 当時の法律では傷害致死は15年で時効。16年後に自首しても法的な裁きは受けられない。
=「罪を償う」方法が制度的に失われていた - 贖罪としての生き方 → 彼女は環境保護活動に没頭。表向きの活動は「父と亡き女性への償い」でもあった。
「自首ではなく自殺」を選ぼうとした絶望
物語終盤、成実は「自首」ではなく「自殺」を選ぼうとします。
なぜなら――
- 自首しても裁けない(時効済み)
- 父の人生は戻らない
- 罪悪感は消えず、新たに塚原殺人まで招いてしまった
法が届かない領域で、道徳的罪だけが残り続ける。その出口のなさが、成実を絶望へ追い込みました。
映画での描写:揺れる心理
映画では、成実の表情や行動に「決して晴れない心の重さ」が丁寧に描かれます。自首しない理由を理屈で語るのではなく、視線の泳ぎ、沈黙、涙といった細部で「罪と生のねじれ」を伝える演出が印象的です。
なぜ観客はモヤモヤするのか?
観客が「なぜ自首しないんだ!」と感じるのは、期待とのギャップが大きいからです。
- 期待:自首して罪を償う、スッキリした決着
- 現実:時効で裁けない、罪悪感だけが続く
この「スッキリしない結末」こそが、『真夏の方程式』が「ひどい」と言われる理由のひとつでもあります。
まとめ:成実“自首しない”問題
- 父が身代わりになり、取り返せない状況だった
- 法律上は時効で裁かれない
- 罪悪感を抱え、贖罪として生きようとした
- 最終的に「自首」でなく「自殺」を選びかけた
――つまり成実は、「法と道徳の狭間で出口を見失った存在」として描かれています。
観客のモヤモヤは、「答えのない問題」に直面する痛みそのもの。まさにタイトルの「方程式」が象徴するテーマと重なります。