1983年に公開され、日本中が涙した映画『南極物語』。 極寒の地で生き抜こうとする樺太犬たちの姿と、隊員たちとの絆に心を揺さぶられた方は多いのではないでしょうか。
しかしその一方で、物語の核心である「犬たちが南極に置き去りにされた」という事実に、「どうして…」「あまりにもひどい」と胸を痛めた方も少なくないはずです。
なぜ、彼らは置き去りにされなければならなかったのか? 本当に隊員たちは無情だったのでしょうか?
『南極物語』リキが死んだ理由|死因はシャチという噂の真相を徹底解明
この記事では、そんな『南極物語』にまつわる辛い疑問に真正面からお答えします。
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犬たちを置き去りにせざるを得なかった本当の理由
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「ひどい」という批判がなぜ上がるのか、その背景
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物語を彩った15頭の犬たちの名前や運命の一覧
これらを詳しく解説し、物語への理解をさらに深めていきます。単なる悲劇としてではない、『南極物語』が本当に伝えたかったメッセージを一緒に探っていきましょう。
なぜ犬たちは置き去りにされたのか?その本当の理由
物語の最も辛い場面、それは隊員たちが犬たちを残して南極を去るシーンです。この出来事は、決して隊員たちが犬たちを見捨てたわけではありませんでした。そこには、人間の力ではどうすることもできない、やむにやまれぬ事情があったのです。
この物語は、1956年から始まった日本の第一次南極地域観測隊の史実に基づいています。当時の南極観測は、国力をかけた一大プロジェクトでした。
悪天候による緊急撤退という「想定外」
問題が起きたのは、第一次越冬隊と第二次越冬隊が交代する1958年2月のこと。南極の天候が急激に悪化し、猛烈なブリザードが砕氷船「宗谷」に襲いかかりました。「宗谷」は厚い氷に阻まれ、隊員たちが待つ昭和基地にどうしても接岸できなくなってしまったのです。
何度も試みましたが、船体は損傷し、燃料も残りわずか。このままでは船に乗っている全員の命が危険に晒されるという、まさに絶体絶命の状況でした。
苦渋の決断と「置き去り」
最終的に、第二次越冬隊の派遣は断念され、基地に残っている第一次越冬隊員たちを飛行機で救出するという緊急措置が取られました。しかし、その限られた輸送機に、15頭の犬たちを乗せる余裕はありませんでした。
隊員たちは断腸の思いで、犬たちを鎖につないだまま基地に残していくことを決断します。これは、あくまで「将来の再利用を前提に基地を残す」判断の一環でもあり、必ずしも犬たちを完全に見捨てる意図ではありませんでした。しかし、結果的にその後の救出は実現せず、彼らは極寒の地に取り残されてしまったのです。
『南極物語』は「ひどい」のか?国内外からの批判と反応
事情があったとはいえ、結果的に犬たちを極寒の地に置き去りにしたことに対して、「ひどい」「動物虐待ではないか」という厳しい声が上がったのも事実です。この点について、もう少し深く見ていきましょう。
なぜ「ひどい」と言われるのか?当時の批判
第一次越冬隊が帰国した当時、世間からは厳しい非難の声が上がりました。「なぜ犬を連れて帰れなかったのか」「人間だけ助かって、犬は見殺しか」といった声です。隊員たちは、犬たちを救えなかった罪悪感と、世間からの非難という二重の苦しみを背負うことになりました。
映画を観た私たちも、犬たちの過酷な運命を目の当たりにすると、「ひどい話だ」と感じてしまうのは自然な感情かもしれません。特に、鎖につながれたまま息絶えていった犬たちのことを思うと、胸が張り裂けそうになりますよね。
海外での評価と反応
一方で、この物語は海外でも大きな反響を呼びました。特に欧米では、極限状況での動物と人間の絆や、犬たちの驚異的な生命力を称賛する声が多く聞かれました。
2006年には、この物語にインスパイアされたディズニー映画『南極物語』(原題: *Eight Below*)が制作されたことからも、その関心の高さがうかがえます。こちらは設定がアメリカの南極観測隊に変更されていますが、犬たちへの愛情や尊敬の念は共通しています。国や文化を超えて、この物語が持つ「命の重み」というテーマが多くの人の心を打った証拠と言えるでしょう。
物語を彩った15頭の樺太犬一覧とそれぞれの運命
『南極物語』の本当の主役は、個性豊かな15頭の樺太犬たちです。彼らの名前と、待ち受けていた運命をここに記録します。ただし、個別の犬の名前や運命の詳細については後年の伝承や映画的脚色が含まれており、すべてが史実として確定しているわけではありません。
15頭の樺太犬たち
- リーダー犬:リキ (8歳) – 隊員からも犬たちからも信頼の厚い、頼れるリーダーと伝えられています。
- 生還した犬 (2頭)
- タロ (3歳) – ジロの兄。
- ジロ (3歳) – タロの弟。奇跡の生還を果たします。
- 基地周辺で亡くなった犬 (7頭)
- ゴロ、ベス、モク、クマ(紋別の)、アカ、クロ、ポチ – 鎖につながれたまま亡くなっているのが発見されました。
- 行方不明になった犬 (6頭)
- アンコ、シロ、ジャック、デリー、クマ(風連の)、ペス – 鎖を自ら断ち切り、南極の荒野へと姿を消したと伝えられています。リキもこの中に含まれます。
なぜタロとジロだけが生き延びたのか?過酷なサバイバル
1年後、奇跡は起こります。越冬隊が基地に戻ると、そこに生きているタロとジロの姿があったのです。15頭のうち、なぜこの2頭だけが生き延びることができたのでしょうか。その謎には、いくつかの説があります。
奇跡の生還を可能にした理由
最も有力な説は、彼らが自力で食料を確保していたというものです。樺太犬は元々、極寒の地で狩りをして生きる強靭な犬種です。彼らは、ペンギンやアザラシを狩って飢えをしのいでいたと考えられています。
また、アザラシの糞を食べたという説もあります。これは、アザラシが食べた魚などが未消化の状態で糞に含まれており、それを貴重な栄養源にしていた、というものです。自然の厳しさと、生きるための知恵を感じさせるエピソードですよね。
「共食い」の噂は本当なのか?
ここで、少しデリケートな話題に触れなければなりません。それは、生き延びるために「亡くなった仲間の犬を食べたのではないか」という説です。
この「共食い説」については、確かな証拠はなく、あくまで可能性の一つとして語られているに過ぎません。極限の飢餓状態に置かれた動物が、生きるために仲間を食べるという行動は自然界では起こりうることです。しかし、実際にタロとジロがそうしたのかは誰にも分かりません。これは、私たちが想像を絶する過酷な環境を、彼らが生き抜いたという事実の裏にある、悲しい推測の一つなのです。
奇跡の生還後…タロとジロのその後の物語
奇跡の再会は、物語の終わりではありませんでした。タロとジロには、それぞれ異なる「その後」の物語があります。
南極で生涯を終えたジロ
弟のジロは、再会を果たした隊員たちと共に、第四次越冬隊に参加し南極に残りました。しかし、残念ながら再会の約1年後、基地で病気のため亡くなってしまいます。わずか4歳という短い生涯でした。
英雄として日本へ帰国したタロ
一方、兄のタロは英雄として日本に帰国しました。多くの人々に歓迎された後、北海道大学で静かな余生を送り、1970年、14歳半で天寿を全うしました。人間でいえば80歳を超える大往生だったそうです。
現在、タロは北海道大学植物園に、そしてジロは東京・上野の国立科学博物館に、それぞれ剥製としてその姿が残されています。今でも、彼らの偉大な功績と生命力を私たちに伝えてくれています。
【豆知識】CGなしの時代、犬たちの名演技はどうやって撮影した?
最後に、映画に関するちょっとした裏話をご紹介します。『南極物語』が公開されたのはCG技術がまだない時代。あの迫力ある犬たちの演技は、どうやって撮影されたのでしょうか?
実は、撮影に参加したのは樺太犬ではなく、カナダから集められたエスキモー犬たちが中心でした。優秀なアニマルトレーナーのもとで訓練を受け、名演技を披露してくれたのです。もちろん、撮影は動物愛護に配慮して行われ、犬たちに危険が及ぶようなシーンは、特殊な撮影技術や工夫で乗り切ったそうです。犬たちの迫真の演技の裏には、スタッフと犬たちの信頼関係があったのですね。
まとめ:『南極物語』が現代の私たちに問いかけること
『南極物語』が「ひどい話」かどうか、その答えは簡単には出せないかもしれません。しかし、なぜ犬たちが置き去りにされたのか、その背景を知ることで、一方的に誰かを責めることはできない、複雑な事情があったことをご理解いただけたのではないでしょうか。
この物語は、単なる悲劇ではありません。極限状況で下される判断の重さ、人間の無力さ、そして何よりも、どんな逆境にも屈しない生命の尊さを私たちに教えてくれます。タロとジロの奇跡は、今を生きる私たちに、生きることの素晴らしさと力強さを改めて感じさせてくれるのです。
本記事は、映画『南極物語』および関連する史実に基づき作成されています。情報の正確性には万全を期しておりますが、一部には伝承や諸説も含まれます。