1995年に公開されたスタジオジブリのアニメ映画『耳をすませば』は、
今なお多くのファンに愛される“青春アニメの金字塔”です。
思春期の揺れる心、初恋のときめき、夢に向かう勇気──
それらが繊細なタッチで描かれ、ジブリファンの中でも“特別な一本”として語られる作品ですよね🎻
そんな名作が、2022年に実写映画として公開されました。
しかし、公開直後からSNSやレビューサイトでは「ひどい」「最悪」といった強い否定的な声が続出💥
いったいなぜ、ここまで酷評されてしまったのか?
本記事では、その背景と要因を掘り下げながら、あの“ジブリの世界”がいかに繊細だったかを再認識していきましょう。
📝実写版『耳をすませば』が「ひどい」と言われる理由

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① 主題歌の変更──「カントリーロード」から「翼をください」へ

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ジブリ版で特に記憶に残るのが、「カントリーロード」を雫が歌うシーン。
この曲はただの挿入歌ではなく、登場人物の心情とリンクし、観客の感情に深く訴えかける名シーンでした🎶
ところが実写版では、この楽曲が「翼をください」に変更されています。
もちろん「翼をください」も名曲ではあるものの、
「世界観をぶち壊した」「感動の芯が抜けた」と感じたファンが多く、
まさに“魂の不在”といえるほどのインパクトがあったようです。
② キャラクター設定の違和感

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聖司の夢が「バイオリン職人」から「チェロ奏者」に変わった点にも批判が集まりました。
なぜ変えたのか?何を伝えたかったのか?──説明も納得もないままに設定だけが変わっていて、
ファンとしては「別人になってる」とすら感じた人もいたようです。
また、登場人物の描写や性格に微妙なズレを感じたという声もあり、
アニメ版での“繊細でピュアな人物像”がうまく実写に落とし込まれていなかった印象です。
🚫実写版が「最悪」とまで言われた複合的な要因

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「ひどい」では済まされない。
「最悪だった」という声には、さらに強い失望が込められています。
① 10年後のストーリー追加による“蛇足感”
アニメでは中学生の雫と聖司が描かれましたが、
実写版では二人の10年後(24歳)という設定が盛り込まれています。
ところがこの10年後パートの構成が、
「物語として成立していない」「過去編の回想ばかりで散漫」などと酷評されてしまいました。
「せっかくの青春の純度が台無しになった」
──そう感じたファンも多く、蛇足とすら言われる結果に。
② キャスティング・演技のミスマッチ

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清野菜名さん、松坂桃李さんという実力派俳優の起用は話題になりましたが、
「キャラのイメージと違いすぎる」「大人すぎて違和感」との声が目立ちました。
特に、回想シーンでの子役たちの演技に対しては「感情がこもっていない」「セリフが浮いてる」といった指摘もあり、
アニメのキャラクターに強く感情移入していた観客にとっては、
“完全に別物に見えた”ことが評価を落とした大きな一因となりました。
📊観客の評価と興行収入──作品はどこで“つまずいた”のか?

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公開当初から注目を集めていた実写版『耳をすませば』。
「ジブリの名作を、あえて実写でどう描くのか?」という期待感と緊張感が、観客の間に広がっていました。
ところが、公開初週末の動員数は約10万8000人、興行収入は約1.4億円と、まずまずの滑り出し。
その後も徐々に数字を伸ばし続け、最終的には約5億3200万円の興行収入を記録しました。
一見すると「それほど悪くはない」と感じるかもしれません。
でもこの数字は、スタジオジブリ原作という強力なブランド、そして主演の清野菜名さん・松坂桃李さんという豪華キャストを揃えた大作としては、明らかに物足りないものだったのです。
「これだけの題材を使って、この結果?」
という失望の声が、口コミやレビューサイトに徐々に溢れ始めていきました。
この“期待値と結果のギャップ”こそが、観客の評価における失望感の源となり、
やがて「ひどい」「最悪」といった感情的な反発にまで繋がっていったのです。
🎼「カントリーロード」不在の理由とファンの想い

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ジブリ版『耳をすませば』を語るとき、必ずと言っていいほど話題に上がるのが、
劇中で使われた主題歌「カントリーロード」です。
特に、雫が学校の音楽室でぎこちなく歌い始め、それを聖司がそっと伴奏で支えるあの名シーン──
観た人の心に何年も残るような、“青春のきらめき”が凝縮された瞬間でした。
だからこそ、実写版でこの楽曲が使われなかったことに対して、
「なぜ、あの大切な曲を外してしまったのか?」と感じたファンは少なくありません。
制作側は「ジブリのオリジナルストーリーに深く根ざした楽曲であり、物語が違う実写版では適切ではない」と説明しました。
その意図は理解できる部分もあるけれど──
観客にとって「カントリーロード」は、単なるBGMではなく、雫と聖司の心の交流を象徴する物語そのものだったのです。
まるで思い出のアルバムの中の1ページを破り取られたような感覚。
それが「切ない」や「がっかり」を通り越して、「怒り」や「拒絶感」へと変わっていったのかもしれませんね。
🧑🎤主要キャスト情報と評価の分かれ目

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役名 | 俳優名 |
---|---|
月島 雫 | 清野菜名 |
天沢 聖司 | 松坂桃李 |
清野さんも松坂さんも、演技力に定評のある実力派俳優です。
実際、映画全体のクオリティとしては“役者の演技”で支えられていた部分もありました。
しかし、多くの観客が感じたのは、「役に対する年齢や空気感の不一致」でした。
特にジブリ版の“思春期特有のぎこちなさ”や“未完成だからこその愛しさ”といった部分が、
あまりにも「大人すぎる」キャスティングでは表現しきれなかった。
観客が望んでいたのは、リアルな“演技力”だけではなく、
かつて心の中にしまっていた、あの“青春の余韻”をもう一度味わうことだったのかもしれません。
🎭なぜここまで評価が分かれたのか?──「これはもう耳をすませばじゃない」

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実写版『耳をすませば』には、確かに評価されるべき点もありました。
映像の色彩感覚や、構図の丁寧さ。
そして杏さんが歌う「翼をください」の柔らかい響き──。
ひとつひとつを切り取れば、「悪くない」と言える場面も多かったのです。
でも、問題はそこではありませんでした。
それらすべてを積み上げた結果、「これは“耳をすませば”ではない」と感じた観客が非常に多かった。
設定の変更、曲の変更、演出の変更──
積み重ねた“違和感”が、原作のイメージを少しずつ崩していき、
最後には「これはもう別の作品だ」と突き放してしまったのです。
📝まとめ:「原作への愛」を描ききれなかったことが最大の敗因

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原作やジブリ版を愛する人々の多くは、ただ単に懐かしさを味わいたいわけではありません。
彼らが求めていたのは、あの時感じた感動と、物語が持っていた優しさを、現代の視点でもう一度体験したいという想いだったはずです。
実写版がその想いを汲み取ることができなかった結果、
「期待を裏切られた」という印象が、厳しい評価となって表れました。
原作の“形”をなぞるだけでは、心は動きません。
本当に必要だったのは、“物語への誠実なまなざし”だったのではないでしょうか。
誠実とは、変えないことではなく、
変えても“心の本質”は変えないという姿勢のこと。
実写化が悪いのではありません。
どれだけその作品に“愛”を持てたか、どこまで寄り添えたか──
その差が、観客の心を大きく動かすのです。