映画『1917 命をかけた伝令』、ご覧になりましたか?🎥
全編ワンカット(に見える)映像の没入感が凄まじくて、見終わった後にどっと疲れが出た……なんて方も多いのではないでしょうか。
でもこの映画、ただの「戦場お使いアクション」だと思って見返さないのはもったいないんです。
実は、映像の端々に「主人公はすでに死んでいるのではないか?」「ここは死後の世界なのか?」と思わせるようなゾッとする考察が、ネットや映画ファンの間で囁かれているんです。
今回は、映画の元になった「実話」の真偽から、ネット上で語られる不気味な「死亡説」の考察、そして賛否両論のある「つまらない」「グロい」という評価まで——この映画を骨の髄までしゃぶり尽くすための徹底解説をお届けします。
きっとこれを読んだ後、もう一度あの戦場へ「没入」したくなるはずです。
1. 『1917 命をかけた伝令』はどこまで実話なのか?

まず最初にハッキリさせておきたいのが、この映画の「実話」としての信憑性です。
「1917 命をかけた伝令 実話」と検索してこの記事にたどり着いた方も多いと思いますが、結論から言うと、この映画は「完全なノンフィクション(事実そのまま)」ではありません。
では、どこまでが本当で、どこからが創作なのでしょうか?
サム・メンデス監督の祖父が語った「記憶」
この物語の核となっているのは、監督であるサム・メンデスの祖父、アルフレッド・メンデス氏の体験談です。
アルフレッド氏は第一次世界大戦に従軍した元兵士でした。彼は小柄だったため敵に見つかりにくいという理由で、西部戦線で危険な「伝令」の任務を実際に請け負っていたそうです。
監督は幼い頃、祖父が手を洗い続ける癖があることに気づき、その理由を尋ねたときに初めて戦争の話を聞かされました。
「泥と血の臭いが落ちない気がする」と語る祖父の話の中に「霧の中をたった一人で、味方への伝令を届けるために走った」というエピソードがあったのです。
映画のように「たった2人で1600人の命を救う」という劇的なミッションそのものが記録に残っているわけではありません。
また、主人公のスコフィールドやブレイクといったキャラクターも架空の人物です。
しかし、兵士が泥の中を這い、鉄条網を抜け、死体の上を越えていく——あの「感覚」や「風景」は祖父アルフレッド氏の語った記憶が映画の土台になっているのは確かです。
歴史的事実「アルベリッヒ作戦」
ストーリー自体はフィクションですが、背景にある軍事作戦は史実に基づいています。
それがドイツ軍の「アルベリッヒ作戦」です。
映画の中で「ドイツ軍が撤退したように見せかけて、実は待ち伏せしている」という状況が描かれますよね。
これは実際に1917年に行われた作戦で、ドイツ軍は意図的に前線を下げ、連合国軍(イギリス・フランス軍)を堅固な要塞線「ヒンデンブルク線」までおびき寄せようとしました。
撤退時、ドイツ軍は井戸に毒を入れ、建物を破壊し、木々を切り倒して「焦土」にしていきました。
映画の中でスコフィールドたちが目にする、不気味なほど静かで破壊された風景。
あれは美術セットの演出であると同時に、歴史的事実を反映したリアリティでもあるんです。
つまりこの映画は、
「歴史という大きな事実」のキャンバスに、「祖父の個人的な記憶」という絵の具で描かれた物語
と言えるでしょう。だからこそ、ドキュメンタリーとは違う、生々しい「人間」の匂いがするのかもしれませんね。
2. 『1917 命をかけた伝令』【考察】スコフィールドは「死んでる」?
さて、ここからが本題です。
検索窓に「1917 命をかけた伝令 死んでる」と打ち込んだあなたはきっと映画を見ていて「何か変だ」「現実離れした雰囲気がある」と感じたのではないでしょうか?
実は多くの映画ファンや考察好きの間で、
「この映画は、死んだスコフィールドが煉獄(天国と地獄の間)を彷徨う物語なのではないか」
という説が囁かれています。
※ただし、これは公式設定ではなくファンの解釈である点は先に明確にしておきます。
冒頭とラストシーンの「木」が意味するもの
この説を裏付ける最大の根拠が、映画の「円環構造」です。
映画は、スコフィールドが草原の「木の下」で目を覚ますシーンから始まり、最後にまた別の(しかしよく似た)「木の下」で目を閉じるシーンで終わります。
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冒頭: 死んだように眠っている → ブレイクに起こされて「生」の世界(任務)へ向かう
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ラスト: 任務を終え、再び木の下で丸くなり、静かに目を閉じる
まるで「死→覚醒→地獄の旅路→再び死(永遠の眠り)」の輪廻を辿っているようにも見えます。
特にラストの安らかな表情は、使命を終えた魂が静かに休息を得たようにも解釈できるのです。
廃墟の街と「三途の川」
物語の中盤、スコフィールドは狙撃兵との撃ち合いで階段から落ち、画面は完全に暗転(ブラックアウト)。
ここで「一度死んだのでは?」と考える視聴者は多いです。
その後の夜の街(エコースト村)は、照明弾の光のゆらぎ、廃墟の影、燃える教会の炎……
現実というより、悪夢や冥界のような世界観が広がります。
さらに物語終盤の「川」。
敵に追われたスコフィールドは激流に飲まれ、白い花びらが死体を覆うように漂っていきます。
この川が「生と死を分ける境界線(=三途の川)」の象徴だという考察は非常に有名です。
水から上がって泣きじゃくるシーンは、疲労だけではなく
“死からの再生”の象徴 と見ることもできるのです。
戦場にいる「赤ちゃん」の謎
廃墟の街で出会うフランス人女性と赤ちゃん。
現実的には「取り残された民間人」ですが、演出としては明らかに象徴的に描かれています。
地獄のような炎の街で、命の象徴である赤子に出会い、食料とミルクを全て差し出すスコフィールド。
宗教画のような構図で、「聖母子像の引用ではないか」 とも言われています。
もし死亡説を採用するなら、
赤ちゃんは「救済」や「天へ導く存在」とも解釈できる……というわけです。
3. 『1917 命をかけた伝令』あらすじとラストシーンの意味:
「考察はわかったけど、結局どういう話だったっけ?」という方のために、あらすじを振り返りつつラストの意味を整理します。
ざっくりあらすじ
第一次世界大戦中の1917年4月6日。
イギリス軍の若き兵士スコフィールドとブレイクはエリンモア将軍から緊急命令を受けます。
「明朝、マッケンジー大佐率いるデヴォンシャー連隊が攻撃を開始する予定だが、それは敵の罠だ——攻撃を中止させなければ1600人が全滅する」
通信が断たれているため、命令書を直接届ける役目を負うのは彼ら2人だけ。
しかし道中でトラブルが発生し、ブレイクは敵兵に刺され命を落としてしまいます。
遺されたスコフィールドは「兄を救ってくれ」という最期の願いを胸に、燃える街、激流の川、砲撃が飛び交う最前線へと走り続けます。
ラストシーン:マッケンジー大佐の言葉と写真
命令を伝えることに成功するも、マッケンジー大佐の言葉は冷たく現実的です。
「今日は終わっても、また来週には別の命令が下るだろう。戦争が終わるまで、この殺し合いは続くのだ」
1600人は救われた。しかし戦争そのものは終わらない。
救済と虚無が同時に突きつけられます。
その後、スコフィールドはブレイクの兄に弟の死を伝え、ひとり草原の木の下へ。
取り出したのは家族の写真。「帰ってきて(Come back to us)」という文字。
映画序盤でスコフィールドは「勲章なんてただの金属だ」と、どこか諦観をにじませていました。
しかし旅の果てに、彼は改めて「生きて帰ること」の意味を思い出したのかもしれません。
あるいは死亡説に基づいて解釈するなら——写真を見ることで現世への未練を手放し、静かに眠りについたとも読み取れます。
生きているにせよ、死んでいるにせよ、
あのラストが 「魂の休息」 を描いている点は変わりません。
4.『1917 命をかけた伝令』 観る人を選ぶ?「つまらない」「グロ」という評価について
検索すると「つまらない」「グロい」というキーワードが出てきます。
これから観ようか迷っている人、観てモヤモヤした人のために率直に解説します。
なぜ「つまらない」と言われてしまうのか?
正直、この映画は「観る人を選ぶ」作品です。
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「お使いゲー」感
「A地点からB地点へ行け」という明確なミッションがあるため、
FPSゲームのように見え、「歩いているだけ」と感じる人もいます。 -
派手な戦闘シーンが少ない
『プライベート・ライアン』のような大規模戦闘を期待すると肩透かし。
緊張感の軸は「いつ撃たれるかわからない静寂」です。 -
説明より体験を重視した作り
セリフや回想は最小限。
物語を“理解する”より“戦場を体験させる”ことに全振りしています。
言い換えると、
この映画は「観る」ではなく「体験する(VRに近い)」作品。
そこに価値を感じられるかどうかが評価の分かれ目です。
「グロい」のが苦手な人は注意が必要?
スプラッターのような過度な流血は少ないものの、
生理的嫌悪感をねらった描写はあります。
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腐敗した死体・馬の遺体・ハエの描写
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スコフィールドが死体の腹部に手を突っ込んでしまうシーン(しかも負傷中の手)
これは悪趣味ではなく、
「戦争がいかに人間の尊厳を奪うか」を示すための演出だと言えます。
5. 『1917 命をかけた伝令』まとめ:これは「映画」ではなく「体験」である
『1917 命をかけた伝令』は、単なる戦争アクションではありません。
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祖父の記憶に基づいたリアリティ
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「死後の世界」さえ予感させる幻想的な映像美(※公式設定ではなく考察)
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全編ワンカット風映像による異常な没入感
これらが組み合わさることで、観客は100年前の泥と血にまみれた戦場へ“体験として”放り込まれるのです。
スコフィールドは途中で死んでいたのかもしれません。
あるいは死以上の苦難を乗り越え、生きて戻ったのかもしれません。
どちらにせよ、ラストの「木の下」で見せた表情は、地獄をくぐり抜けた者だけが知る静寂でした。
もし、まだ一度しか観ていないのであれば、
「死後の世界説」や「円環構造」を意識しながらもう一度観返してみてください。
きっと、最初に観たときとは全く違う、恐ろしくも美しい景色が見えてくるはずです。
※本記事で取り扱った「死亡説」や象徴解釈はあくまでファン考察であり、公式設定として明言されたものではありません。 制作意図・史実・設定については念のため公式情報・インタビュー・パンフレット等をご確認ください。
